2007年04月01日

春樹と水丸 うさぎおいしーフランス人


村上春樹の新刊「村上かるたうさぎおいしーフランス人」はカルタのようなものを本にしたものだ。

いろはかるたなら「犬も歩けば棒にあたる」とあるように、村上かるたは「うさぎおいしーフランス人」といったカルタが50音順に並んでいて、原稿用紙1・2枚のちょっとしたストーリーのようなものと安西水丸によるカルタのような絵が添えられている。友沢ミミヨが絵を描いた回文集「またたび浴びたタマ」に近い構成だ。

添えられているちょっとしたストーリーのようなものは、俳優や音楽家や動物などが登場してほとんど語呂合わせのようなやりとりをしながら進行する。初期の村上春樹は、語呂合わせのようなもので意味深長な雰囲気のあるポストモダン小説を書いていたが、この「村上かるたうさぎおいしーフランス人」は何の意味も感じさせない。

ちょっとしたストーリーのようなものといえば、「夜のくもざる」という超短篇小説集があったが、ああいった小説の文体で書かれているのではなく、村上朝日堂のなかでしばしば出てくる法螺話の文体で書かれていて、とても力の抜けた本になっている。


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2005年09月19日

「東京奇譚集」と短編集

村上モトクラシ大調査の「9月6日(火) 「近況」9月1日」には、ビールを瓶からじかに飲むとおいしいということが紹介されている。たしかに口の中で炭酸がはじけて気持ちがいい。ただし、日本のビールの大瓶をラッパ飲みすればいいわけではない。アメリカのビール瓶が小さいことはよく知られているとおりだ。

その話とは関係なく、村上春樹は毎日まじめに走りながら仕事をしていたようだ。おかげで、文芸誌「新潮」に掲載されてきた『偶然の旅人』をはじめとする奇妙な物語も無事に単行本にまとまった。

このところの村上春樹は一人称で書かないことが多いが、この「東京奇譚集」の中のいくつかの作品も三人称で書かれている。だが、伝聞のような形で書いているので、自然な村上春樹のボイスを感じられる文体になっている。




さて、ベストセラーになった長編小説を多く持つ村上春樹だが、マニアの中には短編こそが村上春樹の持ち味であるとする声も少なくない。これまでに出された短編小説集を振り返ってみよう。どれもすばらしい。

1983年 「中国行きのスロウ・ボート
80年から82年にかけて発表された短編を収めた初の短編集。

1983年 「カンガルー日和
23の短かめの短編が収められている。この中の『図書館奇譚』は後に「ふしぎな図書館」として単行本化された。また『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』は映画化された。

1984年 「螢・納屋を焼く・その他の短編
『螢』は「ノルウェイの森」のもとになった短編。その他の短編もおもしろい。

1985年 「回転木馬のデッド・ヒート
事実に即した作品ということになっていて、すこし『偶然の旅人』にも似た作品集。人気作『レーダーホーゼン』を含む。

1986年 「パン屋再襲撃
『象の消滅』を含む短編集。映画にもなった最初のパン屋襲撃は「夢で会いましょう」に収められた『パン』に書かれている。

1990年 「TVピープル
三年間ほどまったく短編を書かなかったという村上春樹がひさしぶりに書いた作品を収めた短編集。

1995年 「夜のくもざる―村上朝日堂短篇小説
糸井重里の依頼で広告の中に使われた超短編を集めたもの。挿絵は安西水丸。

1996年 「レキシントンの幽霊
映画化された『トニー滝谷』を含む作品集。

2000年 「神の子どもたちはみな踊る
文芸誌「新潮」に連載された「地震のあとで」を収めた作品集

2005年 「「象の消滅」 短篇選集 1980-1991
海外で評価の高い村上春樹だが、これはKnopf社が編集した短編集。



村上春樹の短編小説観にふれるのにいい本がある。

1989年 「ユリイカ 臨時増刊 村上春樹の世界
柴田元幸による実のあるインタビューが収録されている。この中で村上春樹は短編と長編の違いについてなどを丁寧に答えている。

1997年 「若い読者のための短編小説案内
昭和の純文学作家たちによる短編小説を村上春樹が解説していく。



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2005年07月31日

村上春樹とビーチボーイズ

村上春樹はビーチボーイズのファンであることを公言してきたが、これがじつに大変なことであることはきちんと押さえておくべきだろう。

60年代の後期ぐらいからポップ・ミュージックは、闘争心をあおるようなハードな音が好まれるようになり、無垢なポップスはあまり聴かれなくなるばかりか、ほとんどバカにされるような風潮になる。ビーチボーイズのファンはこれに対抗してきたということだ。

たとえば、「ダンス・ダンス・ダンス」の中で、五反田君を横浜まで車で送りながらビーチボーイズのテープを聴くシーンがある。そこで、五反田君は『グッド・ヴァイブレーション』からあとのビーチボーイズは聴く気がなくなったと言い、それに対して「僕」がそれ以降のアルバムである「20/20」「ワイルド・ハニー」「オランダ」「サーフズ・アップ」などは聴く価値があると説いている。

ちなみに、「ダンス・ダンス・ダンス」というタイトルはビーチボーイズの曲ではなく、ザ・デルズの同名曲から取ったと、「遠い太鼓」に書かれている。



村上モトクラシ大調査の「6月28日(火) 村上春樹さんメッセージ」によると、「20/20」のオリジナル盤の可能性のあるレコードを入手したもようだ。ビーチボーイズの所属するレコード会社は「20/20」をリリースした後、キャピトルからブラザー/リプリーズに変わった。

レコード・コレクターがオリジナル盤の収集にこだわるのは、再発売されたものや外国でリリースされたものは、オリジナル盤の劣化コピーであったりして音質に難があることがあるからだ。また、こういう複製芸術のオリジナルというのはアーティストが最初にリリースしたものであることにしておいたほうが話が簡単だ。


村上春樹がビーチボーイズを論じたものは翻訳ブレーンの柴田元幸らが編者を務めた「ロック・ピープル101」で読むことができる。

さらに、ブライアン・ウィルソン選曲によるベスト・アルバム「カリフォルニア・フィーリン」ではライナーノーツを書いている。



また、「スメルジャコフ対織田信長家臣団」の中でビーチボーイズに関する書籍について、中山康樹の「サマー・デイズ―ビーチ・ボーイズに捧ぐ」を薦めている。アルバムのレビューの正当性については留保しているものの、村上春樹自身もこの本を重宝しているようだ。

この「スメルジャコフ対織田信長家臣団」でビーチボーイズのフェイバリット・アルバムとして、断言を避けながらも、「ペット・サウンズ」「オール・サマー・ロング」「サマーデイズ」「トゥデイ」あたりをあげている。



今や、ブライアン・ウィルソンは天才ということや、「ペット・サウンズ」は名盤ということが常識になっていて、「ペット・サウンズ・セッションズ」という4枚組のボックス・セットが発売されたりした。

1997年にこのボックス・セットを特集した萩原健太のNHK-FM ポップス・グラフィティに出演した山下達郎はビーチボーイズ再評価の最大の功労者の一人でありながら、ペットサウンズが異様に神格化されていると異議を唱えた。やたら暗い面が強調されることを危惧しているのだ。

ビーチボーイズは暗いから素晴らしいなどと、変な理解をしてしまわないよう気をつけたほうがいいだろう。
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2005年03月04日

村上春樹と地下鉄サリン事件

「やれやれ」という台詞などでデタッチメントを追求してきた村上春樹だが、1995年に「ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編」を書き上げた後に心境の変化があり、1996年の対談「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」では河合隼雄にこれからはコミットメントが大事だと語った。

そうして、1995年に起きた地下鉄サリン事件を題材にして、1997年には被害者を取材して書いた「アンダーグラウンド」、1998年にはオウム信者を取材して書いた「約束された場所で」を出版した。


地下鉄サリン事件以来、社会は監視を求める方向にむかってきているが、それに対抗する運動にコミットしてきた社会学者の宮台真司は、MIYADAI.com Blogの「つまらなさ一段と深刻 地下鉄サリン事件から十年」で、そういう主観的安心を過剰に求めることはオウムのハルマゲドン幻想と同じだと批判し、生き方のモデルこそが必要だと説いている。

一方の村上春樹は、「神話の力」などで知られるジョーゼフ・キャンベルの理論などにもヒントを得て、カルトの人々に代わって我々が良い物語を与えるべきであるということを河合隼雄との対談やSalon.comのインタビュー「The outsider」などで語っている。

その後、発表されたのが、阪神淡路大震災にまつわる2000年の「神の子どもたちはみな踊る」などの作品だ。



小説・詩ランキング
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2005年02月26日

村上春樹とゴダール



村上春樹の小説「アフターダーク」で舞台になったラブホテルは、ゴダール監督の映画から名前を取って「アルファビル」となっていた。ここからも分かるように、村上春樹はゴダールに特別な思いを持っている。



村上春樹がさまざまな映画について語った川本三郎との共著「映画をめぐる冒険」には、ゴダールの「女と男のいる舗道」が取り上げられている。ゴダールの映画というのは「難解」であるとして敬遠する人や理解できなくて悩む人も多いのだが、村上春樹はこの本の中で「ほとんどがはったり。しかしそのはったりが素晴らしくヒップ」という素晴らしい一言で解説している。

この一言を意識して観れば、「難解」とされるゴダールの映画も分かりやすくなる。とくに同書で他に好きなゴダールの映画として挙げられている「恋人のいる時間」と「アルファビル」のような60年代の傑作なら誰でも楽しむことができるだろう。



村上春樹の小説はゴダールからかなり影響を受けているようで、映画を見てみればいろいろな共通点のあることが感じられるはずだ。


女と男のいる舗道@映画生活
恋人のいる時間@映画生活
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2005年02月22日

村上春樹と野球

村上春樹がヤクルト・スワローズのファンであることは広く知られている。

ただ、小説の中に音楽家の名前など好きなものの固有名をたくさん入れるスタイルをとっている村上春樹だが、スワローズや野球に関する名前を小説の中に使うことはあまりない。

野球について語られるのは、もっぱらエッセーのなかだ。たとえばデビュー時のエピソードとして、神宮球場でヤクルト−広島戦を見ていてヒルトンが二塁打を打った時、初めて小説を書こうと思ったという話はいろいろな場所で語られているし、その他にも野球の話がどのエッセー集にもひとつぐらいある。



エッセー集「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」には『95年日本シリーズ観戦記「ボートはボート」』が収録されている。試合経過などが書かれているほか、野球選手の顔のことをあれこれ話しているうちに古田敦也のことを「過疎地の町役場の戸籍係みたい」と評したりして、同行したヤクルトファンであり「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」の共同執筆者の一人である吉本由美の顰蹙を買ったことも書かれている。

タイトルにも使われた「ボートはボート」というフレーズの出典が書かれていないが、これは映画「旅する女 シャーリー・バレンタイン」のなかの台詞である。この件について「スメルジャコフ対織田信長家臣団」のなかで、読者から質問を受け、くわしく回答している。
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2005年01月16日

村上春樹の最新刊「ふしぎな図書館」と佐々木マキ

1月下旬発売予定の村上春樹の最新刊「ふしぎな図書館」は、1982年に発表された「カンガルー日和」収録の「図書館奇譚」を改稿した本だが、そこで「羊男のクリスマス」やその他の村上作品のカバー装画でおなじみの佐々木マキとのコンビが復活するようだ。

つげ義春がすばらしい作品を発表していた漫画雑誌「ガロ」で、佐々木マキは1966年にデビューした。その作品は革新的だったつげ義春の漫画をさらに過激にしたものでありながら、ポップでもあるということで、新しいものが好きな人たちに絶大な人気があった。

高校生だった村上春樹も佐々木マキのファンの一人で、作品集「佐々木マキのナンセンサス世界 思索ナンセンス選集 (6)」に「佐々木マキ・ショック・1967」という解説文を書いている。自分の中に表現すべきものがないなら、スタイル=文体を持つことで自分自身を表現できると、佐々木マキやゴダールの作品から感じたようだ。

いまは絵本作家になっている佐々木マキのその時代の作品は入手困難だが、それを絵本化したものが出版されている。「ムッシュ・ムニエルをごしょうかいします」などがそうだ。子供でも分かるようなものに描き変えられてはいるのだが、佐々木マキらしさもしっかり残っている。
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2005年01月12日

シーク&ファインド 村上春樹

村上春樹の研究本はたくさん出回っているが、この1986年発行の「シーク&ファインド 村上春樹」はいっぷう変わっている。

とくに年譜「村上春樹による村上春樹」は、かつてのインタビューで自分を語ってる部分をいろいろ編集して、1949年から1985年までの私生活や作品のことがまとめられている。もうあまり自分や作品のことを語らなくなってしまったから、こういうものはかなり貴重だ。

また、文学賞の選評も収められている。群像新人賞や野間文芸新人賞、さらに谷崎潤一郎賞で吉行淳之介、丸谷才一、大江健三郎などの大御所に批評されている。現在では村上春樹が大御所になってしまったが、若手だったころの文壇での様子がうかがい知れて興味深い。
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2004年12月29日

村上春樹の「アフターダーク」のトロンボーンとロックの関係


マリと高橋はデニーズで再会した。楽器ケースを見てそれがトロンボーだと分かったマリに、高橋はトロンボーンがいかに地味な楽器であるかをロック・スターの名前を挙げて説明した。

ミック・ジャガーはローリング・ストーンズで歌を歌ってスターになった。若いころは女性的なキャラクターで人気が高かった。そのころの代表的なアルバムとしては「ベガーズ・バンケット」があげられる。トロンボーンは吹かなかったがハーモニカは吹いた。

エリック・クラプトンは歌だけでなくギターが上手いことでスターになった。代表作はデレク・アンド・ドミノスというバンドで作った「いとしのレイラ」。一時、カズーを吹いて話題にもなった。

1970年前後は、ライブの最中にギターを壊すというパフォーマンスがしばしば行われた。ジミ・ヘンドリックスは最初にステージでギターを壊して有名になったギタリスト。火をつけて床に何度も叩きつけた。代表作は「エレクトリック・レディランド」。

ピート・タウンゼントはザ・フーのギタリストで、ステージで飛び跳ねていた彼もよくギターを壊した。ドラマーのキース・ムーンはドラムセットをひっくり返したりしていた。代表作は「フーズ・ネクスト」。

他に、リッチー・ブラックモアというギタリストもよくギターを壊した。来日公演のときは、壊すために何本ものギターを日本に持ち込んでいたが、出国のときは壊したギターの残骸を税関で見せなければならなかった。そうしないと、ギターを日本で販売したのではないかと疑われて関税を要求されるからだ。

トロンボーンを含む管楽器を取り入れていたロックバンドもあった。たとえば、ブラッド・スウェット&ティアーズ、シカゴ、タワー・オブ・パワーで、ブラス・ロックと呼ばれていた。タワー・オブ・パワーはフランシス・ロッコ・プレステアというカリスマ性のあるベーシストがとても細かいビートを刻むことで人気が高かった。代表作は「バック・トゥ・オークランド」。
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2004年12月20日

村上春樹とビートルズの「ノルウェイの森」

ビートルズの「ノルウェイの森」は革新的なポップ・ミュージックだった。

この曲の冒頭のメロディには、ドリアン・モードが使われている。ドリアン・モードは長調でも短調でもない。普通、メロディは長調ならドを中心に展開し、短調ならラを中心に展開するが、ドリアン・モードはレを中心展開し、ハーモニーらしいものもない。実際には、コードは E(移動ドのソシレ)のまま、メロディは高い B(移動ドのレ)から低い B へ降りてくる。

こういう作曲の手法は、この当時のポップミュージックでは使われていなかった。おもに古い賛美歌、民族音楽、あるいは一部のジャズだけで使われていた。作者のジョン・レノンはインド音楽を参考にしたらしい。この曲が発表された後、ジミ・ヘンドリックスなどがドリアン・モードやミクソリディアン・モード(ソが中心の音階)を使って評判を呼び、ロックといえばこういう手法を使うのが当たり前になった。

また、ジョン・レノンはこの曲の伴奏でジョージ・ハリスンにギターではなくインド楽器のシタールを弾かせた。アジアの民族楽器を使うこともポップミュージックでは斬新なことだった。さらに、歌詞もとても面白くて、まるで村上春樹ワールドのように女の子が消える。当時、これぐらいの歌詞を書けるのは他にボブ・ディランぐらいしかいなかった。

この曲の入っているビートルズの1965年のアルバム「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」には、他にもこういうひねりのある曲が収められている。このアルバム以降、ビートルズの曲作りが変わった。軽快な曲を大声で歌うバンドから、なにかもっと新しくて面白いことをするバンドになった。一般にこの時期はビートルズの中期といわれている。

村上春樹の小説「ノルウェイの森」で、レイコさんは「ラバー・ソウル」のなかから他にも「ミッシェル」と「ノーホエア・マン」をギター一本で演奏したが、「ノルウェイの森」という曲は直子にとって特別なものだった。それについてレイコさんが「カサブランカ」みたいな話と言ったのは、映画「カサブランカ」ではハンフリー・ボガートにとってイングリッド・バーグマンとの失恋にまつわる「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」が特別な曲だったからだ。





原題の Norwegian Wood はノルウェイ製の家具という意味だという説もあるが、村上春樹は「ノルウェイの森」で正しいと発言している。
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